カメラを止めるな!
※注 本記事は重大なネタバレを含むため、万が一この記事を読まれる方は注意されたし。
久々の投稿になる。
ずいぶん流れに遅れた気がするが、本日、上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』を池袋シネマ・ロサにて鑑賞してきた。
この映画は冒頭35分程度の短編映画であるところの前半部分と残りの前半部分を受けての後半部分に分けられる。
適当な感想を述べると、
前半部分では何か気持ちの悪いほどの懸命さ、必死さが感じられた。
この気持ち悪さは体調が悪いだけかわからないが、紛れもなく気持ちが悪かった。
なにが気持ち悪いかと言われると難しい。
不自然な間は一発取りでは不可避であるし、本気の顔を撮りたいとする監督の発言が最序盤にあるため、暑苦しいほどの演技はそれを受けた題材のひとつであると感じてしまっていた。
強いて言うならシリアスな展開の中に無意味なタイミングでコメディ要素があること、登場人物の演技の質が映像の中で異なっていたこと、などであろうか。
それでもやはり、カットをおこなわないドラマとして、息を飲む展開が目まぐるしく起こる面白いB級ドラマであったと感じるにとどまってしまっていた。
しかしここから怒濤の後半部分が始まる。
後半部分はただただ楽しかった。
映画に疎いため例が微妙かもしれないが、前半部分を受けての後半の展開はシャーロック・ホームズの緋色の研究のような、謎解きの爽快感を覚えた。
前半部分の笑いどころをさらに大きな笑いどころにする手法にはかなり驚かされた。丁寧かつ衝撃的な前振りがされているゆえに、映画館全体を操るように笑いを起こしていた。
それに加え、低予算感が伝わるがゆえに、映画と言うより一つの演劇とそのメイキングを演劇にした感覚を受け、そこがまた、ウケやすさ、劇場の一体感を掻き立てていたように思える。
また、後半部分に登場するプロデューサー(?)の女性のカメラを通してのみの番組を見るというメタ的な視点を持つキャラクターは、ある種の前半部分を見た観客を思わせる部分があり、苦笑いさせられる部分があった。
そんな感じである。
全体で気になった点としては日暮の娘があげられる。彼女の存在は何を意味していたのだろうか。
彼女は映画に対する熱意を空回りさせていたが、その思いの強さは父親の作品への意識を変え、母親をもう一度女優をやらせ、詰んだように思えたトラブルに対して的確な対処をした。
その神のような所業は重たい課題を背負った他の登場人物と比べて明らかに軽やかすぎる。
また、細田の娘の写真を見た日暮が自分の娘の写真を見ながらワンカップを煽り、号泣するシーンは一見笑いどころでありながら最後の盛り上がりに繋がる重要なシーンであった。
明らかにやりすぎである。
劇中の台詞で、「子供は親を見て育つ」や、「かっこいい父親でいたい」のような発言があった。この映画は一つの変わったアプローチをする映画である一方で、『親と子』という主題があったように思える。神谷の「父親にもぶたれたことないのに」もガンダムのオマージュでありつつもその点も意識してるはずだ。
日暮や細田の行動を大槻ケンヂは有名な洋画『ロッキー』シリーズを踏襲してるようだとしていた。娘にカッコつけるために父親が頑張る、ハリウッドではお決まりのパターンだと。
しかし父親より明らかに娘のがかっこいい。それを際立たせるシーンもいくつかわざわざ作ってある。
自分の意見としては、これはこの映画に出てくる一つの下克上であると結論付けたい。
無茶な条件を受けながらも作品を作り上げる、ゾンビに人間が立ち向かう、監督に俳優が強く意見する、プロデューサーに監督が歯向かう、など。
あげたらきりがないが、子が親を動かすこともその一つであるのではないだろうか。
何てこじつけてみたが正直よくわからない。
上田監督の他の作品にもしかしたらヒントがあるかもしれないので気が向いたら見てみようかと思う。
ではこれで。