余裕をなくした日本人
頑張れ、という言葉を我々はよく口にする。
重要な何かしら、例えば試合であったり、はたまた商談であったり。様々な時に相手を励ます言葉として使う。
頑張れとは相手を励まし、応援することのできる言葉であるようだ。
だが、字をよく見て欲しい。頑張れとは、「頑」を「張れ」と書く。「頑」はかたくなと読め、頑固などの単語に使う。この場合の「張れ」は意地を張るなどの時の「張れ」であろう。
さて、頑なである状況を張り続けろなんて言葉、果たして本当に励ましの言葉であるのであろうか。むしろ無理し続けることを指す言葉なのではないのであろうか。
「頑張っている人に対して頑張れという言葉を使うな、もう頑張っているんだから」なんて言う人もいるが、それは暗に頑張ってしまっている時点でその人はもう無理をしているんだから無理をさせるなという意味を表しているようにもとれる。
「頑張れ」という言葉は励ましの言葉に全くふさわしくないようだ。
別に励ましだけではない。
今日からダイエット頑張ろう、資格取るために頑張ろうなどと言って三日坊主になってしまう人も少なくない。
そういう人は大体なぜ失敗したか考えないが、ひとつ簡単に言えることがある。
頑張ってしまっているのだ。
何事も頑張るから続かないのだ。
頑張らなきゃダイエットなんて出来ないと言う人もいるかもしれないが、それはそうだ。食の魅力に囚われた人が簡単にダイエットなんてできるわけがない。ただ、頑張っているって思わなければ良いだけなのである。
「私はダイエットを頑張ってはいない。ただこなしているだけである。造作もない。」なんて思い込んでおけば案外続くものである。
そういえば英語には頑張れとは正反対の言葉で同じタイミングで言う言葉があるのをきっと皆さんご存知であろう。
そう"Take it easy."である。
私はこの言葉が非常に好きである。
正念場に、気楽にやれよなんて言われても頑張ることが大好きな日本人たちには難しいかもしれないが、正念場を気楽に臨む度胸があれば、きっとその度胸はきっと正念場を乗りきる力になるはずだ。
今日は私情を挟みすぎた。
頑張ってるって思われるより余裕そうって思われた方がかっこいいと思うって文章だった。
それでは